昭29窯クラス会旅行          「やきもの探訪」平成11〜14年分

  クラスの殆どが第一戦を退いた平成9年、誰云うこともなく年に一度は顔を合わそうと云う話になり塚本宏君の肝いりで新橋の蔵前工業会館に旗挙げした。この時クラスメートは地方居住者も多いので、幹事は持ち回りで毎年旅行しよう と云うことになった。
第3回の平成11年の幹事は、瀬戸近傍に住む加藤博 之君で、彼の計画によって多治見の名刹虎渓山永保寺、 岐阜県陶磁資料館の見学後、彼の従兄弟である加藤卓男 氏主宰する美濃の幸兵衛窯に案内してくれた。卓男氏は9世紀から13世紀にかけて作られた金属のような輝き を持つペルシャの名陶ラスター彩に魅せられ、この再現 に3 0 年も現地にも通いつめ、又 宮内省より卓越した知識と技術を見込まれて正倉院三彩の 再現にも成功しているところから人間国宝である。抹茶を頂きながら再現の苦心をお聞きし、又我々の愚問にも懇切 丁寧にお答えいただいたことを思い出す。翌日は昭16年卆の加藤政良先輩が興した蛙目粘土等原料採掘精製の加仙鉱山、瀬戸山口に新装なった愛知県陶磁資料館と二日間陶磁 王国を満喫したが、人間国宝との出会いに触発されて、折 角窯業工学を勉強した我々は次回も窯元を訪ねてみようと意見が一致した。
平成12年4月、幹事原田賢君の計画で、栃木県益子に昭16年卆の島岡達三工房を訪ねた。氏は同じく我々の大先輩である人間国宝の故浜田庄司氏( 大5)を師とされて、師同様民芸の道を進まれ、独自の縄文象嵌によって平成8年5月には人間国宝の認定を受けておられる。平成13年級友である中沢三知彦氏( 昭16年卆) の100点に及ぶコレクションが東工大に寄贈され、同6月には東工大記念館に展示され、同時に記念講演会が持たれたことを記憶に持たれる方も多 いと思う。工房訪問には中沢氏も同伴下さり何かと便宜を図っていただいた。島岡先輩の案内で轆轤引き、絵付けや登り窯を見学、茶室ではお抹茶も呼ばれる。益子は幕末大塚啓三郎が窯を築き、生活用品一例を挙げると一昔か二昔も前、駅弁と共に買ったお茶の容器などを焼製していたが、大正13年民芸運動を展開した浜田庄司氏がここに定着、その名を慕って多数の陶芸家が集まり、現在 は首都圏にも近く陶芸ブームに乗って人気が高く、陶芸メッセ益子など色々な展示場や研修設備と見学対象 も多い。
ここで同級生のアウトラインを述べると、我々クラスは新制第2回目の卒業で、山内研、河嶋研、清浦研、田賀井研、素木研で卒論をした者14名。内中村厚君は平成10年春、彼が熱望していた長野オリンピック開会式のベートーベン第九の合唱を加わることなく、世を去った以外は息災である。勿論加齢のため血圧の異常とか目や前立腺が劣化したとか、愛妻を失った者はいるが、絶えず8 名前後の参加者を見ている。その住居は西は中国・四国、関西、中京、関東に及んでいる。
平成13年は晩秋の備前に集まった。この地区に永く勤務された吉野成雄君の斡旋で窯元木村興楽園を訪ねる。備前焼の原料はやきものの多い日本でも独特なもので、鉄分 の多い田の土は細かく非常に固く焼結する。このため釉薬 をかけないのが普通で、b器(セッキ)に分類され焼締め陶と呼ばれる。日本六古窯の一つとして古くは擂鉢や全国で甕は使用されたと云われる。流通が不便な時代に割れ易く重量 物である陶磁器は産地の周辺のみが需要地であるのが通常 であるが、全国区であったのはその高品質と海に面しているためである。安土桃 山時代となると状況が一変して村田珠光・千利休に始まる侘び寂びの水指・花生と云った茶器類が脚光を浴び、絵付けをしない分、 緋襷(ヒダスキ)、胡麻、牡丹餅と云った窯変が珍重され、藤原雄・啓、山本陶秀といった幾多の人間国宝を輩出している。窯元のご主人から東工大の山内俊吉・加藤六美両元学長の来訪時や戦時中釦や手榴弾まで作らされた話を伺う。翌日の岡山後楽園は秋空のもと、気分の良い散策であった。
昭33年卒で現副会長の尾野幹也氏にお願いして松江の実弟尾野晋也氏の袖師焼工房を訪ねたのは平成14 年10月で、この時も幹事には塚本宏君を煩わした。この袖師焼の案内から引用すると「初代尾野友市は出雲の陶法をもって開窯、二代目岩次郎は明治26年袖師浦に移窯、三代目敏郎は河井寛次郎( 大3卆) や柳宗悦の民芸運動に馳せ参じ、現在も民芸陶器の窯として知られる」とあり、当主晋也氏は出雲伝承の陶法 を基礎に、地元産出の陶土、原料を用い、地釉や柿釉な ど多彩な釉薬と各種技法を駆使して民芸風陶器を焼製されている。我々のためわ ざわざ轆轤引き等を実演していただいた。
袖師窯は宍道湖の辺にあって辞去してから観光遊覧船 からの夕陽と、松江温泉での宍道湖七珍の味も忘れられ ない。翌日は松江城、小泉八雲記念館、そして堀川巡りの遊覧船と、山陰特有の時雨もたいしたことなく観光が ( ) 楽しめ、地元推奨の茶三味蕎麦に舌鼓を打ち散会となった。

( 古丸 勇 記)